ちゃんなの徒然草

新米ママの日常記

東日本大震災の日から8年

今日は東日本大震災から8年の日ですね。

 

 

 

 

 

 

テレビをつけたら追悼式が中継されていたので黙祷を娘を抱きながら一緒にしました。

 

 

 

 

 

 

あの日のことは8年前といえどもはっきり覚えています。私はまだ結婚しておらず甲信越の地元に住んでいて仕事が代休の日でした。

 

 

 

 


当時の私は暇さえあれば同じ町内に住む祖父母の家に遊びに行っていたのですが、その日も昼ご飯を食べに行っていたのです。

 

 

 

 


突然長くて大きな揺れが起こって、その揺れはこれは震源地はここではなく、どこかでエライ大きな地震が起こったに違いないと確信するようなものでした。

 

 

 

 


揺れるタンスを背にして、一人で祖父と祖母を守れるだろうか、避難が必要かどうか考えていました。

 


揺れがおさまって情報を得るためにテレビをつけたら信じられないような光景が映し出されていました。

 

 

 

 

 

 

東日本大震災でした。

 


私の地元からはだいぶ離れたところでしたので、私たちに被害はなかったのですが震源地は家屋が崩れたりしていて大変なことになっていました。

 

 

 

しばらくすると、黒い波が押し寄せて街を呑み込む様子も…。

 


祖父が海水に畑が呑み込まれる様子を見て、嘆いていたことを覚えています。

 

 

 

テレビに映し出される映像は映画の撮影のように思えて、現実に起こっていることだと信じられませんでした。

そのくらい、生中継されていたあの光景は衝撃的で忘れることができません。

 


思い出そうとすると動悸がします。

 

 

 

 

 

 

あの日の夕方、仕事から帰宅した母に、おじいちゃんおばあちゃんのとこなアンタが居てくれるのわかってたから安心して仕事していられたわと言われたことも覚えています。

 

 

 

 

 

 

 


東日本大震災の影に隠れてしまいがちですが翌日、地元の近くの村でも大きめの地震が起きてまた揺れたので恐怖で神経がすり減ってしまい、いったい日本はどうなってしまうのだろうと思いました。

 

 

 

 

 

 

 


震災は仕事に大きな影響を与え、いくつかの法改正や通達などで震災の影響で変わった仕事をするうちに実感が出てきました。

 

 

 

人が亡くなる悲しみ、遺体が帰ってこない悲しみ、だからこそ生存を信じたい人…

 

 

 

いろんな人がいるだろうなと仕事をしながら考えていました。

 

 

 

 

 

 

 


8年経った今、一緒に中継を見ていた祖父母は亡くなり、震災を知らない娘が生まれ、こうやって世代交代をしていく中でだんだん風化していってしまうのかなぁとぼんやり思いました。

 

 

 

 


だけど、地震津波で亡くなった人はもちろん、自分を犠牲にして最後の時まで避難を手伝った人や、自分の家族が行方不明なのに仕事で災害対策に出なければならなかった人、避難生活での心労で亡くなった人、生まれ育った故郷を離れなくてはならなくなった人、放射能汚染の風評被害にあっている人…

数字では表せない沢山の被災者の方がいます。

 

 

 

決して風化させてはならないことだし、東日本大震災で培った防災対策を活かして震災を知らない世代に語り継がなければならないなと思いました。